数がめっきり少なくなったアメリカの軍用機開発で、二二〇〇億ドルもの超ビッグプロジェクトであるJSFの大型商談を落とせば、そのメーカーが一気に衰退の道をたどることは自に見えていた。
この三年半後、予想された通り、英を除いた欧州主要各国の仏アエロスパシアル・マトラ社、独ダイムラー・クライスラー・エアロスペース・AG、スペインのCASAがさらなる大合同をして世界第二位の航空(軍需)宇宙企業EADSが誕生することになる。
それに引き換え、日本の航空宇宙産業はまったく蚊帳の外にあり、世界の潮流からは隔絶したままの無風状態で、集約は起こりそうな気配すら見えなかった。
ただ従来からの防衛需要に頼り、民需の約九〇パーセント近くを依存するボーイングの下請け一辺倒の姿でしかなかった。
ボーイングと親しい関係にある日本の三菱重工航空宇宙部門のトップ西岡喬常務はこのビッグニュースについて語った。
「ボーイングからはなにも聞いていない」ボーイングによるマクドネル・ダグラスの吸収合併により、YSXは一段と不透明になった。
ボーイングのコンディット社長もYSXについては「検討は続けているが、きわめて難しい市場だ」と繰り返すばかりで、具体的な話はいっさい出すことがなかった。
このあと、ボーイングに望みを託してきた日本側の思いとは別に、YSXの可能性を完全に打ち消す決定的な事態を迎えることになった。
マクドネル・ダグラスとの合併によってボーイングは一九九七年十一月までに、両社の民間機のうち、どの機種に力を注ぎ、あるいはまた切り捨てるのかといった選別の基本方針を打ち出すとしていた。
YSX計画でボーイングに一纏の望みを抱く日本にとってもつとも関心をもつていたのは、一九九五年十月にマクド、ネル・ダグラスが五〇機の受注を得てローンチした、一〇〇席クラスのMDの取り扱いだった。
ところが、ボーイングは低迷しているマクドネル・ダグラス社の民間機部門の仕事量確保の意味合いもあって、開発中のMDー却をB7171200と改称して、作業を継続していくことを決定したのである。
となると、B7171200計画と先のB7371500を原型機として軽量化するYSX案とは、クラスがほぼ重なってくるため、ボーイングは当然のことに社内事情を優先して、後者の計画は事実上、中止となってしまったのである。
片思いをしていたボーイングからまたも振られたため、またまた、別の可能性を検討することになった。
YSXはまたも計画の練り直しが行われて、一九九八年には再び市場動向を見極めながら、八〇席クラスを検討していくことを決め、開発に向けた可能性を調査することになった。
それから五年を経た現在も政府から毎年、数千万円から一億円単位の補助金を得て、YSXの開発の可能性を探る調査がいまも続けられているが、計画が具体化するめどはまったく立っていない。
二〇〇一年度から、防衛庁の次期対潜哨戒機PXおよび次期輸送機CXの開発(三四〇〇億円の開発費)がともに川崎重工の担当で同時にスタートした。
両機がほぼYSXと同じ大きさのため、このチャンスを生かして、民間機に転用することで開発費を抑えることができないかとする考え方が以前からあった。
しかし、その考えは二〇〇一年末、防衛庁および川崎重工が受け入れず、可能性が消えてしまった。
確かに二機の軍用機と一機の民間機をうまく共通化しながら並行して開発を進めることで、開発費を安くあげようとする構想だが、現実として、かなり難しい問題があることは確かだった。
日本はこれまで、二機の軍用機を共通化しながら並行して開発を進めること自体なかった、初めてのことである。
その上、民間機もとなると、下手するとどれも中途半端なものができあがる可能性があるからだ。
とはいえ、滅多にないチャンスだけに、両機の技術や設備、人員を活かして民間機開発に活用する手は大いに考えられる。
このため二〇〇二年五月、経済産業省、防衛庁、国土交通省、各航空機メーカー、主要エアライン、日本航空機開発協会で構成する航空機開発推進連絡・調整協議会が設置されて、意見交換や各種の調査、スペックの調整などを行っているが、いまのところ、具体的な計画がもち上がっているわけではない。
これを契機に、航空機に関係している関係省庁、および関係団体が意見交換を行って日本全体として全般的な問題を調整できるようになればいいといったところである。
なにもしなかったわけではないこのような現実を踏まえながら、二〇〇三年四月に聞かれた日本航空宇宙学会の「国産航空機の展望と湖沼と題する、筆者も参加してのパネルディスカッションでは、元日本航空機開発協会の常務理事の尉養鶴雄が、YSX計画にかかわった経過を踏まえながら内情を語っていた。
「YSXについてはいろいろな計画が上がってはつぶれていったが、我々としては、なにもしなかったわけではない」ただ、YXX/B7J7の計画がだめになり、そのあとも引き続き予算をもらっていて食い延ばししながら、とにかく次の可能性を探っていこうとしていた。
でも、そのころの業界(大手機体メーカー)のトップは、「金を使っているが無駄になる。
しばらくやめたらどうか」との考え方が支配的だったという。
国から予算が出ていたが、それと同時に、各メーカーもYSX計画の調査検討のために分担金を拠出していたからだ。
そのとき、鳥養は力説したという。
「敗戦後、GHQによる航空禁止によって七年間の空白があったことで、航空機業界は大きな痛手を受けたとみなさんはことあるごとに口にする。
もしYSXをここでやめたら同じことが再び起きるではないか。
それでもいいのですか」そうした議論の結果、細々とながら継続していくことになった。
その後、ボーイングと話し合いをしているうちに、B777の計画が出てきて、開発がスタートすることになった。
それ以前の、ボーイングとの共同開発プロジェクトB767よりは日本側の分担割合が増え、権限も大きくなったが、「共同開発とはいうものの、B777だけやっていたのでは、下請けみたいなもので、日本の顔が出ない。
やはり一〇〇席以下の小型機を日本としてやるべきだ」となった。
日本、中国、米リアジェット社でビジネスジェットの胴体を長くして数十席の旅客機を作るといった計画を含めて、いろいろな案を立てたりした。
その問、経済産業省も精力的に動いて、月に四回ほど、朝食前の時間を利用して、大手機体メーカーの社長会を聞いて説明し、論議を行ったりした。
そのときあるメーカーのトップは「二、三億円ならYSXのために使ってもいい」との考えだったが、別のメーカートップは「YSXでニッチマーケットを狙うなんてとんでもない。
商売は大樽の底を狙うべきで、ボーイングと一緒の計画でないとダメだ」と主張した。
また別のメーカートップは「金が回収できないようなYSXにはとても出せない、うちの会社はそれどころではない。
そんな金があったら別の事業分野に使いたい、ビタ一文出せない」。
三者三様の考え方と社内事情で、YSXに対する取り組みはたえずぎくしゃくしていたが、そんな業界トップを説得しながら、なんとか継続してきたというのが現実で、結局、日の目を見ることはなかったと鳥養は語る。
決断できなかった要因今日に至るまでのYSXの十数年の経過を振り返るとき、もしあのとき、思い切って経済産業省も含め190て業界が決断して開発に踏み切っていれば、日本の航空機産業ももつと違ったものになっていたのではないかとの思いは、内外でしばしば聞かれる話である。
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